「私の話」

先日はお世話になっている明星国際ビューティカレッジの授業にお邪魔しました。

いつも思うのですが、今の子達って本当にいいこばかりです。

私の若いころは本当にひどかった・・・。私だったら絶対に私みたいな子は入社させません(笑)

そういった意味で私を育ててくれた師匠には本当に感謝しかありません。

毎年呼ばれて参加する授業ですが、いつもその時に思ったことを語っていましたが、今年はちゃんと考えて話そうと決めてからのお話です。

長ーい話ですが、もしお暇なら↓にありますので・・・是非・・・いやオススメはしません。

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「私の話」

JOIEは今年30周年になります。

県内で4店舗、スタッフ40人ほどの素敵なスタッフが活躍してくれています。

JOIEの歴史の前に私の歴史を話したいと思います。 (面白くはありません)

私が小さいころは家は散髪屋でした。

母は小学校くらいからパーマ屋さんに勤めて修業をし、私が高校生のころ小さな美容室を作りました。

シャンプー台一つ・セット面二台の小さなパーマ屋でした。

当時の私は将来パーマ屋になりたいとは思っていませんでしたが、私の家系はおじいちゃんが散髪屋をしていましたし、おじさんやおばさん達はみんな散髪屋です。

そんな私の小・中学校は走ることが苦手で運動会ではいつもドベのコンプレックスのかたまりの子でした。

さらに人とのコミュニケーションが苦手だったのでみんなから「おとなしい子」と思われていたと思いますが、実は運動が苦手で勉強が嫌いな劣等感少年です。

高校はなんとか臼杵高校に入学できたものの授業についていくことが出来ずに悪ぶって現実逃避することで自分を装っていました。

悪ぶって目立つことで自己アピールしていましたので悪い方へ悪い方へと人生は進んでいました。

私は一人っ子ですから きっと両親は夜な夜な遊び歩く息子の将来が不安だったと思います。

で結局高校は2年で中退しました。

自分の未来に夢や希望という明るい道は見えていませんでしたが、それでも少しだけ「何とかしたい・・・」と危機感は持っていました。

高校を辞めてしまった息子を心配して「美容師にならないか?」と親が道を示してくれました。

正直、物心ついてこの世界にいますから「ん?なんとかなるか?」と軽く考えていました。

 

そこでどうしょうもないバカの私が母が訪ねたのが明星美容学校の河野理事長です。

母がコネで入学させようと思ったのでしょうが「高校も卒業できないやつを入学させられない」と入学を断られましたから高校卒業の学歴を通信教育で取ることにして無理やりねじ込んで入学できました。

 

入学さえ出来ればなんとか社会人になった気がしていましたバカな私でした。

 

またまたダメな私は美容学校にきても頑張る事が出来ずに勉強も練習もサボってばかりで掃除もさぼって抜け出してましたから先生に怒られてばかりです。

で、卒業が近づいて就職を決めるときになって・・・。

何も考えていないバカな私が働き始めたのは学校の下のヴィナス美容室です。

当時ヴィナス美容室はここの河野理事長が社長でした。

当時の大分の美容業界ではもっともキビシイと言われた歴史ある高級サロンです。

いやいやそれは無理と逃げましたが、

「お前みたいなバカを雇ってくれるところなんてどこにも無い」と言われて

確かにそうだろうけど・・・(不安)  働くことになりました。

しかし、これが私の人生を大きく変える事になります。

バカな私は(怖い理事長)にこっ酷く叱られたからこそ気付いた事が沢山です。

学びには親からの教育、学校の教育もあるでしょうが社会人となって厳しく叱ってくれる素晴らしい師匠に出会えることが出来たおかげで今美容師としてだけでなく社会で必要とされることも多くなり、多くの納税だけでなく恥ずかしながら人の育成にも声がかかるようになれました。

師匠からの指導は本当に厳しかったです。

叱られた当時は恨んだりすることもありましたが、正直怖かったので反発はできませんでした。陰でグチっていただけ(笑)

ヴィナスで働いているうちに本当の意味で「美容師という仕事の楽しさ」がわかるようになった頃。「週一の定休日に明星でカットの先生を手伝え」と言われました。

「えーーー」休みがないじゃないか??と思いましたが断れませんのでやりました。

給料はありません!!

嘘です、毎月あげてたら使ってしまうので一年分を貯めてくれてました。本当に感謝です。

実はそのお金が元で東京での修行が始まります。

ヴィナスでコンクールに出さされていましたがそれが大変なんですが楽しくなっちゃって、もっともっととしていくうちに東京の審査員の目にとまり声をかけて頂けました。

ヴィナスで育てて頂いた恩もありますが、もっともっとの夢が止まらなくなって上京することになりました。

技術の師匠であるヴィナスの嶋本先生に深く頭を下げ許しを得て東京に・・・

その際に師匠と約束したことは「どんなに苦しくても3年以内で戻ってくるな」でした。

 

東京では貧乏しながらカットのコンテストとセットのコンテストそしてお嫁さんのカツラ結(日本髪)を学びました。

この日本髪は河野理事長のお母さん、桃子校長のおばあちゃん(明星美容学校創設の院長先生)が結っている姿を見て日本髪の美しさに憧れていました。

 

働いていた港区高輪の高級サロンで店長もさせて頂きましたが、結婚をしたこともありまして地元で自分のサロンを作る夢が大きく膨らみました。

JOIE-HAIRを作って今年10月で30年になります。

10月には全スタッフを連れてグワムで30周年をするために頑張ってお金を貯めています。

 

まだまだ話はこれからなんですが長くなるので大切な事だけをお話しします。

話たように私には厳しくもほんとうに優しい師匠がいます。

あの時に叱ってくれなかったら今私はどんな人生を歩んでいるだろうと考えるときがあります。

私だけでなく人はだれも自分に甘いと思います。

縁あってJOIEに入社してくれた子を私は全力で育てる覚悟があります。

今の時代は働き方改革。私が育った時のようなことをするときっとすべての子が辞めていくと思います。

だからといってスタッフのわがままに気付かないふりをして見過ごしてしまっていいのだろうかと思います。

なので私は時に嫌われることが多いです。厳しいからと言って辞めていく子もいらっしゃいます。ずいぶん配慮しながら厳しくしているつもりです。

美容師としてだけでなく社会人として幸せな人生を歩んでもらいたいから怒ったり,褒めたり、食事に行ったりとしながら育てています。

JOIE-HAIRではスタッフをゼロから育てています。つまりシャンプーの技術から始まりカットが出来るようにするだけでなくメイクにセットに日本髪(これは特に私のこだわり)そして振袖着付けまで出来て一人前とします。

最近ではそこそこまで育ったスタッフを引き抜いて美容室運営している店もあります。

しかし、美容室経営は人材育成なんだと私は育てられましたし、私も技術だけでなく考え方や社会のルールもすべて師匠から学んだ事ばかりです。

ゼロから育てるって本当に大変です。器用な子もいますがJOIEは不器用な子が多いです(笑)

育ててはチャンスを与え、失敗しクレームがあれば一緒に謝りに行き、練習を見直してまたチャンスを与えて成功体験を積ませて育てるしかありません。

本当にたいへんですが、なぜ頑張れるのかというとダメでバカな私も明星美容学校の河野理事長やヴィナスの嶋本先生にそうして育てて頂いたからからです。

今だに気にかけて頂き、可愛がって頂き、叱ってくれる師匠を裏切るなんて出来ません。

だから自慢になりますが、JOIEのスタッフは多くのお客様から技術だけでなく人として可愛がっていただいてます。

春にはまた新しいスタッフが入社してくれますから教育が始まります。