いよいよ忙しくなってきました。
忙しくバタバタとした店内ではありますが、一人ひとりのお客様を大切にしていかないといけません。
あってはならない事なんですが、忙しくなる事はずっと前から分かっていた事なんですがゆっくりしている時のリズムで仕事をしてしまいがちです。
お客様に喜んでもらいたい想いは全員共有している事ですが、そんな「当たり前の事」はジョイだけでなく他のサロンでも思っていますし、この業界だけでなく全ての仕事をしている人も「お客様に喜んでもらいたい」思いは持っていて当たり前だと思います。
ただ、思うだけでなく行動して結果につなげられるのか、良くない結果で終わるのかは本気で頑張っているか否かだと思います。
少しくらい頑張ったからって結果につながらないことは分かっているのにすぐに諦めてしまったりします。
偉そうに言っている私もいつもそうです。
良くない結果に「そのうちなんとかなるだろう・・・」と楽観的に考えて努力することから逃げていることだらけです。
私の良くない習慣は私についてきているジョイっ子達にも受け継がれてしまっている事がチョクチョクとあります。
娘達は私や先輩達の行動を見てるんですね。「見られてるな~」
立派な事を言っても結果がダメなら必ず原因がある。
そういえば ずっと前の話ですが・・・。
大在店を作った後、みんなでお祝いをしに行ったたこ焼きやでの出来事なんですが・・・
そのたこ焼き屋は中津で有名で今では福岡にまで店を持っています。
オーナーさんは本も書いて講演活動に忙しくされていまして・・・(ここまで言うと分かっちゃいますが)
お客様をおもてなしする思いを実践して多くのお客様が圧倒的な支持をされていた店なんですが・・・
その店に行ってみたかったのですか、ある人に言うと「昔ほどではないよ・・・」との評判です。
あらら・・・な感じでしたが、まぁ行ってみればきっと感動するだろうと思い「ワクワク」しながら遠い中津までたこ焼き屋に行ってきました。
早く着きすぎたのでまだ店は開いていませんでした。「そりゃそうさ・・・」と思いながら広い駐車場のど真ん中に車を停めて開店を待っていました。
開店準備でスタッフがちょくちょく店の外に出てくるので私たちには気がついているとは思うのですが、声はかけていただけずに駐車場で待たされました。
いよいよ開店時間になり、一人のスタッフが看板を玄関にだしたのでのれんをくぐると、「あ、いらっしゃいませ・・・」の素っ気無い対応に少し驚きながらも「楽しみにしてきたんですよ・・・」とワクワクした私が店員に言うと「そうなんですか?」と素っ気無い対応・・・ん!
まぁ誰でも機嫌の悪い時はあるよと前向きに考えて席につきました。
「この店の接客が素晴らしんですよね・・・」と高い期待のまま店員に聞くと「普通の居酒屋ですけど・・・」と
どこまで期待を下げるつもりですか?とツッコミたくなるほどの空気の違いを感じてやゃこちらも空気を感じはじめてきました。
料理はどれも美味しかったです。たこ焼きにはマヨネーズでメッセージも入ってましたが(ただしているだけてで気持ちを感じなくなりまして・・・)
最後は炎の中トランペットも吹いてくれましたが心は冷たくなっていた私でした。
ただ企画してくれていた木下店長の思いだけを暖かく頂きながらも(何だかね~)逆に勉強になった日でした。
たしかに色々な事はしてくれましたが、思いがこもってないとこんなにも感じ方が違うのかと改めて勉強しました。
ここのオーナーの本は以前に読んでとても感心しただけにショックでした。その後にも出された本もありますが買う気にもならず、でも逆に気になるので本屋で立ち読みしましたが、正直内容はすばらしかったですが、実際どうなの?と心でつっこんでます。
ジョイでもこのような事はよくあります。
「お客様に喜んでもらうために頑張ります」と朝礼では声高く気合をいれてますが、実際は思いだけと言うことが多いです。
お客様からの「ありがとう」には大きくわけて2種類あります。
「どうもありがとう」 と 「え~嬉しい・・・ありがとう」です。
「どうもありがとう」はその日の夜にはだれにしてもらったことなのか忘れてしまう程度の社交辞令「ありがとう」で、「え~嬉しい・・・ありがとう」驚きの感謝のありがとうは記憶に残るありがとうです。
またジョイに行きたいと思っていただくためには驚きが絶対に必要です。さらに言うならシャンプーや肩もみ、コーヒーをお持ちすることだけでお客様を感動させなくてはいけません。
忙しい年末、ただやるだけのサービスにならないように気を張って頑張ってもらいたいです。
さてさて、↓今月はじめから臼杵店の受け付けを手伝ってくれている志帆ちゃん。
長崎育ちの彼女はおっとりさん。
そしてコチラ。
駿
実は私の息子
高校生のころからジョイで働いてましたが、一年前に福岡の姉を頼って違う美容室で修行してました・・・が、この度帰ってきまして臼杵店で働いています。
それには訳がありまして。複雑ですが簡単な理由。
↑の志帆ちゃんと結婚することとなり、人生設計の見直しをしたということです。
頑張ってもらわないと私が困ります。
さてさて、
結婚式の準備などで昔のアルバムなどを押し入れの奥から引っ張り出して見ていますと、若かったころの私たちがそこにありました。
それは最初に勤めた大分での修行時代と東京での修行時代。さらに小さなジョイを開店させはばかりの頃。
「そういえば・・・」と妻と二人で話す思い出話に懐かしんでました。
不思議と貧乏だった思い出が一番懐かしい話しになるんですね。
東京の池袋のボロアパートでした。家賃は28,000円(風呂なしトイレつき)
当然エアコンは無く、窓は一つでしたが開けると目の前はぼろっちいラブホテルの窓。
夏は暑いので開けて寝るとラブホテルの窓も開いていていろんな声が聞こえてきます。
近くに銭湯がありましたが280円。
銭湯は高いので週に二回と決めて流し台で体をゴシゴシしてました。
食事のほとんどは母が送ってきてくれたお米を炊いておかずはモヤシ。(おかげで当時の身体は細マッチョ)
給料日だけ自分へのごほうびで吉野家の牛丼に味噌汁とタマゴとお新香のフルセットを注文してました。(超美味かった)
お嫁さんがかぶるカツラ(文金高島田)の美しさに惚れて毎週通っていた月謝やスタイリングコンテストに出るための費用に給料のほとんどを使ってしまうため削るのは食費くらいしかありませんでした。
後に格安で朝晩とシャワーを浴びれる環境を見つけましたのし、勤めていた美容室は品川高輪高級ホテルの中にありましたのでホテルの社員食堂で格安で食べれるようになってずいぶん助けられましたが・・・。
貧乏な体験って後にすごく懐かしい思い出となるんですね。今は正直そこそこの豊かさを感じられるくらいにはなりましたが、たまに当たり前に豊かさに「ありがたい」と感謝することがあります。
ジョイを最初に作ったときもそうでした。
お客様がゼロの日なんてよくありました。車は持ってなく知り合いのおばちゃんに借りたスクーターでした。
店を作って一年ほどしてボロイ中古を買って嬉しかったのを思い出しました。
アパートを借りるお金はありませんでしたから実家に居候です。
3~4年してやっとボロイ一軒家に引っ越しました。
あのころ子供二人を保育園で預かってもらい、保育園が休みの日は親戚に預けたり、今でも感謝しているのが当時のジョイの大家さんがみてくれたりと多くの支えの中でジョイを営んでいました。
今思い出すと「そんな事もあったよな~」と苦しかった思い出が楽しかった記憶として思い出します。
臼杵店が今の場所に移転してきたときも苦しい日々でした。
支払いに苦しみ、夜中まで働く毎日の中でスタッフとの摩擦に苦しみながら毎月が綱渡りのような営業をしていくなかで頑張れたのは、ワンビジョンの森社長の一言です。
努力していると、ある時「ふっ」と楽になる時がきますよ。「頑張って良かった~と思う時はかならず来ますよ」の言葉でした。
ホントかな?と不審に感じながらもやるしかない毎日を頑張っていますと、ほんと・・・ある時に「ふっ」と財務状況が楽になり始めました。
もちろん、その後もなんども苦しい思いを繰り返してきたのですが、あの時ほどの試練もなく乗り越えられています。
これから先もきっといろいろと苦しい時がやってくると思っていますが、50才を過ぎて乗り越えられない事はおこらないことが分かってきました。
今年も残すところ少しですが、「いい一年だったな~」と懐かしみながら年を越したいと考えます。
来年は新しい店舗をつくる成長の年です。
きっと苦しい事があるんだろうな~という覚悟はできています。
長くなりました